BT キム氏写真展 – The Face –

BT キム氏の写真展‘The Face’について

2019年6月
菊池 徹
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6月17日から21日の4泊5日のスケジュールで韓国のソウル市を訪ねた。同行したのは、2年前にケニアに同行した鷹觜義哲氏であった。キムさんのギャラリーはGrimson Galleryといい、旧ソウル市のほぼ中央にあるソウル鍾路区仁寺洞の一角で、多くのギャラリーやアンティークショップや古風だが朝鮮王朝時代の佇まいを残した料理店や旅館が軒を並べた風情ある街並みにあった。私は、毎日このGrimson Gallery を訪ね、そのたびに、「顔」(The Face)の写真を鑑賞し,そのたびに、新しい感想が湧いたものだった。

キムさんたち3人が3月に来日した時に、2泊3日の熱海の旅行を実現した。同行のヤンさんはキムさんと同じ写真家だったので、話が、写真のことに多く触れた。キムさんは、ケニア人の「顔」を撮影し、その内面を捉え、見る人に訴えかけたいと熱く語り、6月にソウルで発表する計画だと教えてくれた。

ソウル泊二日目の夜に、ホテルNine Tree Myoung Dong2のラウンジで、キムさんの考えを聴く機会があった。(以下、キムさんを第一人称で表している。)

「私は、25年間程ケニアに住み、多くの人々の世話になりながら、どうにか写真家として認められるようになってきました。はじめは趣味の域を出なかったし、対象ももっぱら野生動物でありアフリカの大自然でした。その対象は今も変わりありません。大自然に調和して生きる野生の動物たちの野生ゆえに見せる輝くばかりの美しさに魅了され、一瞬の中にその生涯のすべてをかけた眼差しに、シャッターを切り続けました。私の精神も、次第に、大自然に溶け込むようになり、動物たちと思いが同化したかにすら思えるようになりました。

2015年の東京の新宿パークタワーの展示会では、Wild Emotions「空(くう)の香り」というテーマのもとに、サバンナの闇の中に隠れている多くの生命を感じ、そして、その暗闇の中から生み出されるエネルギーを感じるような作品を発表しました。なにもないようにしかみえない荒野のなかに息づくすべてを感じ取ってほしい、そして、すべてがあるようにみえて、実は、なにもないという巨大な「空(くう)」を感じてほしかったのです。これこそ、サバンナの魅力―「空の香り」です。大自然を野生動物ごと一つのものとしてとらえ、この調和と融合の美しさを末永く伝えていくことが、人間の生存に必要な環境を守ることになるという見方が私の根本に据えられました。大自然と融合しながら自由に生きる野生動物たちの生き様やその家族愛や闘争心に触れて感動しました。私たち人間と同じ感情が働いているからでした。過酷なまでに厳しい大自然でありながら、野生動物たちを守り育てる大自然を感じることができました。

2016年のナイロビ博物館の展示場ではReflectionsが発表されました。サバンナの風に吹き分けられていく無辺の草原の中に潜む野生動物の子供たち。彼らの母親は既に捕食者の手にかかって帰ることがないのにもかかわらず。日没の闇(Darkness)に紛れ込むヌーの群れ。大草原の中にひっそりと生きづいているはずの野生動物たちの息遣いまでも描こうとしました。そして、突如、闇を切り裂いて太陽が昇るときに地平線に黒く浮かび上がる野生動物たちの群れ。時間の経過とともに、その野生動物の群れは、まるで瞼を開けるように、太陽の光の量と共に、広がっていくのです。私は、朝が光をもたらし、夜の闇を閉じていく中に、野生動物たちの生を捉えたかったのです。夜の深い闇の中で目を光らせて警戒に入っているハイエナたち。多数の仲間が闇の中の草むらに伏せて寝入っているときに、一頭だけ寝ずの番をするトピーの凛とした姿。太陽が昇るまでは、野生動物たちの命の炎を燃え尽きさせないように、闇が新しい命をはぐくんでいるのです。ライオンたちも遠くに近くに雄叫びを響かせています。雄のライオンはハーレムを守って夜を徹して番をしているのです。若い雄のチーターが、母チーターに襲い掛かるが、子を守ろうとする母チーターの強靭さに及びません。闇は、野生動物たちにとって、特別の意味を持っています。

2018年のソウルの展示会(Gallery Kong)では、その大自然の闇(Darkness)を描き、参観者の想像力を誘いました、題名はBlack Mistでした。そこに掲載された大型の写真は、一面真っ黒でしたが、中央に剣で切り裂いたように、朝の光を受けて草を食む野生動物たちのシルエットが浮きあがっていました。光を受けていない部分は闇に覆われた荒野を表し、あの光を浴びる草原につながっていることを想像させます。その闇の部分に、多くの野生動物たちが隠れ、子をはぐくみ、日々生活しているのです。見る人の柔軟な想像力が前提の、「闇を表す黒」なのです。じっと、写真を見つめ続ける人もいれば、短時間で帰ってしまう人もありました。

ケニアのナイロビに住む多くの黒人たちの生活を被写体に選ぶことが自然になってきました。いつも生活を共にするドライバーのジョージは、出勤時だけでなく、マサイマラにもアンボセリーにも同道してくれ、一緒に被写体である野生動物たちを追う仲間です。私の経営する会社には30人以上の黒人の男女が日々働いています。昼のご飯を作る料理人や給仕や掃除人を入れるとその数はさらに増えます。彼らの後ろにはそれぞれの家族がいますし、生活があります。私は、その人々をモデルにすることで、私のケニア人に対する恩返しができないものかと思うようになりました。ケニアには40を超える部族があり、言葉や習慣や衣装も少しづつ違っています。その風俗を興味の対象とするのは他の写真家におまかせしたい。私は、それらの外部のすべてを剥ぎ取り、生身のケニア人の「顔」を被写体にすることで、彼らの「顔」に表れる喜怒哀楽だけでなく、社会的に存在する「差別」(discrimination)や「偏見」(prejudice)や「先入観や片寄り」(bias)に今なお苦しめられている実像をとらえたい。彼らを苦しめているのがそれだけではない。根底に「貧困」(poverty)や「病苦」(disease)があり、数世紀にわたった「奴隷狩り」が今も白人に対する恐怖心を残している。それを写真に描き出すことが私のケニア人に対する恩返しであり、その写真を世界中の人々に観てもらい、考えてもらうことが私の仕事だと思うようになりました。

どうしたら、「顔」を描くことができるのか?私は、真っ黒なカーテンの前に、黒のTシャツのモデルたちに並んでもらいました。場所は私の事務所でした。動員したモデルの数は65人位でしょうか?子供もいれば若い男女も老人もいました。その黒人たちに一斉に笑ってもらったり、一斉に沈黙してもらったりしながら撮影したのです。そして、彼らの黒さは一様ではないことに気が付きました。真っ黒もいれば、焦げ茶色もいるし、艶っぽい黒や薄く白っぽい黒やくすんだ黒もいます。鼻筋の通った黒人もいれば、そうではない黒人だっています。子供たちの笑いを一つの写真に収めたときに、みなそれぞれ違っていますが、そのくりくりした目や白い歯のかわいらしい表情は共通でした。つまり、黒人という一つの同一性(Identity)には、無数の多様性(Diversity)が包含されているということです。私は、ケニアが数百万年も昔に現生人類(ヒト)であるホモ=サピエンス(Homo sapiens)の最初のランナーたちを生み育てたという史実を思い浮かべました。このホモ=サピエンスが、現在、70億人近くに達し全世界を埋め尽くしています。世界中の人々は、尚、人種(Race)について、特にアフリカ人について偏見(Prejudice)を持っています。私は、ケニア人の内面をできるだけ引き出したいのは、これがケニア人をして他の人々と違わないことを明らかにする助けになるからです。人々は、形や肌の輝きが違っても、この世界を作る主体ですし、世界は一つです。相違(Difference)は、多様性(Diversity)であり、個性(Personality)です。固有の特色(Characteristic)をもつ沢山の個人(different individuals)が、私たちの世界を構成し、発展させていると私は思います

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今度の写真展に,半眼(Half eye)のモデルの写真があったと思います。日本人の理解でいえば、体中にみなぎるエネルギーを丹田(へその下)に溜め、一切の雑念を払しょくし、思考の彼方に置き捨てるという「座禅」の姿勢です。老若男女の黒人たちが喜怒哀楽を打ち捨てた境地に立った「顔」になっています。民族衣装や振り付けを取り除いた素顔に、私達と何ら変わりがないケニア人が写っています。私は、見る人たちが「先入観」や「差別」や「偏見」を取り除いて、自らの感性で、ケニア人の「顔」、アフリカ人の「顔」に刻まれている苦悩や悲しみ、その根底にある病や貧困、そして、長い間、虐げられてきた歴史が今なお残している恐怖心を見てほしいのです。」

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(文責: 菊池 徹)
【新聞報道記事】

The Korean Economic Dailyの主任解説員シンギョフン(Mr.Kyong Hoon Shin)氏等の記事を紹介します。

「写真家ギムビョンテ氏の個展「ザ フェイス」が、ソウル鍾路区仁寺洞ギャラリーのGrimson Galleryで6月12日に開幕した。ケニアに在住しアフリカの大自然の神秘をずーっとカメラに収めてきたキム氏は、今回の展示会でアフリカ人の顔に焦点を当てた作品を25日まで公開する。」

「キム氏はケニア共和国ナイロビ市で25年以上住みながら、アフリカの大自然の偉大さと神秘を独特の感性をもって撮影してきている。今回の展示は「顔」を介して人間の内面を覗き表現しようとしており、その結果を発表している。作品の撮影には、暗い背景と少量の自然光が使われて、濾過されていないままの率直さがこの作品全般に流れている。目を閉じた「顔」を主たる撮影対象にすることで、彼の作品は、さながら、多くの言葉に囲まれているように、その中で人間の「顔」が、アフリカの生活の中にあるケニアの人たちの「顔」として、淡々と描かれており、内面が徐々に引かれて出てくるかのような神秘を醸している。」

「群像作品は、子供たちのものも大人たちのものも、それぞれ異なる姿と他の肌とのトーン
(色合い)が「顔」を介して、同じコミュニテイーの中での多様性を示し、そして、これを基にして一つの生活共同体を営んでいることを端的に表現している。同じように見えていて、しかし、一人一人が違っていて、他のようでありながら、同じ私たち人間の姿であり、その人物は写真家の愛情のこもった隣人たちであり、友人たちであることがわかる。長年にわたって、彼らと喜怒哀楽を共にしてきた写真家は、今回の展示会を通じて、人間の生活の中に内在する先入観と偏見に疑問を投げかけている。」

「作家の作品は、そのような先入観を徹底的に排除した。ひたすら、アフリカ人の顔と表情に集中した。彼らの喜怒哀楽が詰まった日常の表情を盛り込んだ。作家は、モデルが黒い服を着て、黒の背景に立つようにした。彼らの伝統衣装と背景を捨てさせ、アフリカ人たちの「顔」にだけフォーカスを合わせた。モデルは、作家が現地で一緒に生活してきた同僚や友人である。その完成された作品たちには、不思議で面白いアフリカ人たちの姿はない。私たちのように働き、遊び、愛し、怒る、普通の人の「顔」である。」